四条木屋町の【喫茶 ソワレ】 レトロな喫茶店のガラスのようなゼリーポンチ
こんにちはトルテです。
本日は、木屋町・高瀬川沿いにある【喫茶 ソワレ】です。
連日大行列の有名店で、この日も開店40分前に到着しましたが、すでに行列ができていました(-_-;)
一番乗りになるには、何時に来たらいいのでしょうか…
暇なので、お店の前のディスプレイを鑑賞。
東郷青児の作品が飾られています。
ちょっと寄ってみましょう。
光がはねて見にくいでが…
ソワレの創業者・元木和夫氏は東郷青児の絵の収集家で、かつ親交もあったということで、店内には東郷青児の絵がたくさん飾られています。
カフェの雰囲気と、東郷青児の幻想的な画風がぴったりです。
さぁ、開店の13時になりました。
この2階の青い光も気になりますね。さっそく店内に入ってみましょう!
【ソワレ】…soiree「夜会・素敵な夜」
店内の様子
店内に足を踏み入れると、「おぉ~!」と思わず唸ってしまいます。何とも言えないこの雰囲気が伝わるでしょうか。
こちらは1階の店内。
どこもかしこも青い光で包まれ、赤いシートが毒々しい色に見えます。
なんだか異次元の世界。
お手洗いのドアも素敵です。
先のお客さんから順番に、眺めの良い2階へ案内されます。
立派な梁のある2階も、やはり青。
窓枠や梁の隙間に設置された青い照明が、店内を幻想的な空間にしているのですね。
窓辺に置かれた葡萄のライト。
これまた謎めいてますねぇ。漢字の「葡萄」が似合います。
本日のスイーツ
【ゼリーポンチ・750円】
どうです! きれいでしょう?
実物を目で見たほうが、これの何倍もきれいなんですよ。
甘いサイダーのグラスに、色とりどりのゼリーが入っています。昭和53年からあるそうですよ。
店内の青い照明が、ゼリーの美しさを引き立てます。
アップにしてみましょう。
ゼリーがガラス細工のようですね。
この色合い、キレイでしょ?
おひとり様の私は、一番奥の、窓辺の席に案内されました。
おぉ~きれい。
最初にここで写せばよかった…と激しく後悔。
(ほとんど残ってないやないかいさ…)
くやしい~、上からも撮ってやる~
…きれいやなぁ。
最後に、
お水のクラスも東郷青児でした。
メニュー
上にアイスクリームが乗ったのや、ヨーグルトのもあります。
キウイフロート、きれいですね。
ドリンクの他にも、ケーキやトーストもあります。詳しくは公式サイトへ。
店舗情報
営業時間 13:00~19:30
LO18:30
定休日 月曜日(祝祭日は翌日休)
所在地 京都市下京区西木屋町通四条上る真町95
連絡先 075-221-0351
駐車場情報
*京都市鴨東駐車場
京阪・祇園四条駅の真ん前にある公営駐車場です。
30分200円とリーズナブルな料金設定です。
最大料金は3980円(24時間)とお高いので、3時間までなら利用価値ありですよ。
【祇園四条駅/南座近い市営駐車場】京都市鴨東駐車場 │ 京都・滋賀駐車場なび
*河原町、高島屋周辺の駐車場
【喫茶ソワレ】から徒歩10分圏内の駐車場です。
【河原町・京都高島屋】厳選15駐車場!ランチ・映画・ショッピングに快適で安いのはここ! | 駐車場の神様
最後にちょと無駄話・京の高瀬川
【喫茶ソワレ】のすぐ近くを流れる高瀬川。水位が非常に浅いので、流れによってできる水紋がとっても美しい川です。
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。
「高瀬舟」より
森鴎外の小説「高瀬舟」の冒頭です。
鴎外先生がおっしゃる通り、高瀬川という名は、かつてここを行き来した「高瀬舟」にちなんでいます。
浅い川でも使えるように、底が平らな川船なのだそうです。
高瀬川の歴史
高瀬川はその昔、角倉了以・素庵親子によって開削されました。
安土桃山から江戸時代にかけての頃と言いますから、そこそこの歴史があります。
高瀬川ができるまで、京に物資を運ぼうとすれば、<淀川を水路で運ぶ⇒鳥羽伏見で陸揚げ⇒陸路で京へ>となっていました。
これはめんどくさいですよね。
そこで「一気に船で運ぼうや!」と、伏見から京都までの水路として高瀬川を開削したそうです。
藍色の線が高瀬川(現在)です。
しかし全長11キロの運河。お金もかかります。
開削費用は今の価値で約150億円。しかしびっくりするのは、それが角倉了以の私財だったということです(「京の風物詩・鴨川納涼床への誘い」より)
たぶん費用全額ですよね?
出来上がった高瀬川の使用料で元は取ったそうですが(利益も莫大)、いやはやなんとも、昔の豪商って…すごすぎる。
高瀬川と琵琶湖疎水
苦労して作った高瀬川。
ところが明治になって「琵琶湖疎水」が作られると、高瀬川の利用が激減。大正9年には、ついに水運利用停止となってしまいます。
琵琶湖疎水と共存を図るも、上手くいかなかったようですね。
琵琶湖疎水は当時の京都府が総力を挙げて整備した運河。開削費用は、当時の京都府年間予算の約2倍だったそうです(その後増額あり)。(京都市上下水道局「琵琶湖疎水」より)
運搬水路だけではなく、発電・上下水道などの目的でも造られていまして、とにかく高瀬川とは規模が違いすぎます。
技術力の進歩の前にはなす術もありません。これも時代の移り変わり、仕方ありませんね。
<南禅寺水路閣>
路面電車計画
大正時代に高瀬川が水路利用廃止になった後、「高瀬川の上に路面電車を走らそうや!」という案が持ち上がったそうです。
川を地下に潜らせ、上に線路を敷くってやつですね。「もう使わん川やし、ええんちゃう?」てなことだったのでしょうか。
ところが地元住民の猛反対に合い計画は変更、路面電車は河原町を走ることになります。
当たり前と言えば当たり前。こんなきれいな歴史ある川を、地下に埋没されてたまるものですかいな。
<昭和30年代の京都市電です。京都駅に向かうのですね>
残ってよかった高瀬川
いろいろあった高瀬川ですが、現在まで残ってよかったです。
川の横は木屋町通り。
たくさんのお店が並んでいまして、川に面したカフェもあります。
テラスでお茶を飲みながら、森鴎外の「高瀬舟」を読むのもオツなもの。
まぁでも…あれは…決してすがすがしい内容ではありませんが…
かつての京都市電(路面電車)の写真がたくさん載っているサイトです。京都の方は懐かしいのではないでしょうか。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。